音珈琲の日々、ひろいごと

アロマンティックでアセクシャルなアラサーヴァイオリン弾きのブログ

脱・「私なんかが」運動

ジェーン・スーさんのエッセイ『ひとまず上出来』を拝読していたら、「正しい方法で自尊心を取り戻した」という表現をされていて、良い言葉だなと思った。

それと併せて、スーさんは各所で「『私なんかが』と自己卑下して、良いことなど一つもない」ともおっしゃっている。

私が私であることを許し、自尊心を正しい方法で取り戻していく。私、音珈琲は『脱・「私なんかが」運動』を展開していく次第です。

スーさんの言葉が私の背中を押してくれたのはいうまでもないが、自分のセクシャリティと向き合い、自認出来たからこそ、このスタートラインに立てた。ようやく。

舞台に立つ一人間として、「私なんかが」精神は人生最大の壁として、常に私の目の前に高くそびえ立っていた。

自信をつけるために事前の準備を徹底したり、メンタルコントロールの本を読んだり、ありとあらゆる方法を試したが、根本の部分はいまいち変わっていないように思え、悩み続けた。

一方で、ふと気が付くとジェンダーのことばかり考えていた。

シス女性(身体と心の性が一致している女性)である私は「自分は男なんじゃないか」とか「男に生まれたかった」と思ったことはほとんどなかった。

しかし「もし男に生まれていたらこんな思いをせずに済んだのにな」と思うことは数えきれない程あった。

私を苦しめてきたものや、ジェンダーに対する苛立ち。今までぼんやりと映っていたものが、アロマンティックアセクシャルという言葉との出会いによって、徐々にくっきりとした輪郭を帯びてきたのだ。

最初に私を追い詰めたのは、思春期に起きた身体の変化だった。

第二次性徴期を迎え、周りの女子達はどんどん大人の女性らしい、ふっくらとした体つきになっていくのに、私の身体は対照的な程、みるみる痩せていった。ダイエットなど一切しておらず、きちんと食べ、適度に動いているにもかかわらず、だ。

肋骨は透け、手首や足首にははっきりとした骨の形が見えた。胸は全然大きくならない。

風呂場の鏡に映る、全裸の自分を見る度に味わう屈辱たるや。元々高身長だったため、私の身体は女性らしいそれとは程遠い。全くもって受け入れ難かった。

(これは病気でも何でもなく、単なる私個人の体質である。アラサーの現在もほとんど変わらない体型でありながら、健康診断も問題なくクリアしているのだから。)

体育の授業前に更衣室に入れば、後ろ指を指されて嘲笑されるようになり、以降はトイレでこそこそ着替えるようになった。

あの時、私は自分が「女」というカテゴリーから外された気がした。

その傷は、抜きたくても抜けない釘のように私の中に残り続けている。

これまでの人生、恋愛やセックスとほとんど縁がなかったのは、私という人間がたまたまそういう性質だったという、ただそれだけのこと。セクシャリティを自認した今ならそう説明出来る。

だがあの当時は、この女らしくない体型のせいだと決め込んだ。こんな体型だから、私は他人から「女」として見られず、結果として恋愛やセックスに行き着かないのだ、と。

そう思うと、女らしさに対する憧れが湧いてくる一方、裏返しの感情が生まれた。

周りの女子達がファッションやメイク、身だしなみに気を遣う姿。それらが私にとっては異性の目を惹くためのものにしか映らなくなった。

女であることを利用して、男の気を惹こうなんて、恥ずかしくないんだろうか。女って、なんて狡くて卑しいんだ。

この感情、ミソジニー(女性嫌悪、女性蔑視)以外の何物でもない。

「女らしくない」というコンプレックスに耐え切れず、吹けば飛びそうな程磨り減らした自尊心を何とか保とうとするがあまり、心の中にミソジニーという名の巨大な大木を育ててしまったのだ。

そして極めつけはジェンダーの問題。

私は5歳からヴァイオリンを習い始め、ちょうど思春期の頃にヴァイオリンとクラシック音楽を専門的に勉強していこうと決意した。

それを、周囲の大人達(主に同級生のママ友)は花嫁修業と解釈した。「音楽なんて食べていけないわよ。でも音珈琲ちゃんは女の子だから、結婚して旦那さんに養って貰えばいいものね」。こういう類いの言葉は、大人になった今でも言われることはままあるが、当時は今ほど免疫もなく、繊細だった故に余計堪えた。黙って唇を噛むことしか出来なかった。

女らしさに憧れながらも女らしさを軽蔑し、それでいて女であることから逃げられない。セクシャリティの上にルッキズムミソジニージェンダーが二重、三重と覆い被さっていった。

私は音楽高校に合格し、そのまま音楽大学まで進学した。

中学までに体験した屈辱的な思いも何もかも、全部「音楽」という情熱の炎にくべる薪、燃料にしてやれ。

そうでも思わないと、この抱えきれない真っ黒な感情のやり場がなかった。

だが結局のところ、真っ黒な感情は音高、音大を卒業した後もついて回ってくることになった。

何せ人前に出る機会が多い。女性のクラシック演奏家は、ロングのカラードレスを着用するのが通例。ドレスを着るのであれば化粧もへアセットも必要になる。自分が女であることを意識せずにはいられなくなる瞬間。

そこでミソジニーを炸裂させて「女であることを利用したくないから、私はドレスを着ません、化粧もしません」などとお偉い先生方の前で宣言したら、どうなるか。

十中八九雷を落とされるか、良くて冷ややかな目で見られるか、のどちらかである。

学内の試験やコンクールは、他人よりもいかに自分を良く見せるかの競争である。実際「ドレスを着たくないなんて、お前は単に音楽へのやる気がないだけだろ」と言われたこともあった。

それでいて不思議なのは、音高音大に在籍する学生の大多数を女性が占めているにもかかわらず、演奏に求められるのは「男性らしさ」なのである。大きい音量、力強い音色。

女性らしさと喧嘩し続けながらも、男性らしさに振り切ることも出来ない。何故私はこんなに不器用なんだ。ますます自分を許せなくなった。

音大を卒業後、私はフリーランス演奏家兼指導者としての活動をスタートさせた。

私は良くも悪くも、社会に流されるようになっていった。

あんなに頑なに拒んでいた化粧やおしゃれにしぶしぶ手を出し、本番は抵抗せずにドレスを着用する。

すると、明らかに仕事が円滑に回るのである。

社会が、クラシック業界が求める女性らしい女性を演じることで、こんなに色んなことがスムーズに進むのか。悔しさもありつつ、まあそれでもいいかなと諦め半分の自分もいた。

そんな時に「アロマンティックアセクシャル」という言葉に出会った。

何度も繰り返すが、恋愛、性愛とほとんど縁のない人生を歩んできた。その自覚は大いにあったので、自認する人達を否定する気にはならなかった。

しかし直ぐに「自分はこれかも」と思うには至らなかった。

いかんせん、これだけ拗らせてきている。

私は単にモテないこと、女らしくないことを拗らせているだけなんじゃないか。自認している人達はもっと核心めいた経験をしているのでは?私は恋愛と呼べる恋愛経験がほとんどない。ここで自分がアロマンティックアセクシャルだ、と自認することは、自認している他の方々に対して失礼になるんじゃないか?

(この発想、考え方は誤りであると、今なら断言出来る。アロマンティックアセクシャルについて理解を深めた今なら。)

ここでも「自分を許せないモード」を発動させてしまったのだ。

それでも、アロマンティックアセクシャルという言葉は、私の心に引っ掛かった。

ネットの情報だけではなく、きちんと知りたいという思いで『見えない性的志向 アセクシャルのすべて』という書籍を手に取り、読み始めた。

この本の中で述べられていた、アロマンティックアセクシャルにまつわる誤解や偏見。私が自分を責め続けてきた理由そのもの、といっても過言ではない内容だった。

そして、セクシャリティの上に覆い被さっていたコンプレックスやミソジニージェンダーへの葛藤。これらがようやく因数分解出来た。

女らしくないことを責める必要もなければ、女らしさを憎む必要もない。男らしさを求める必要もない。

他人に対して、恋愛感情や性的欲求を向けられるように、自分を変えようとする必要もない。

30年背負いこんだ重荷がほんの少し、肩から降りたような、そんな気がした。

確かに自分を受容することは難しい。本当に難しい。未だに自分の身体が好きだとは言えないし、育て上げたミソジニーの大木を、根元から引っこ抜くのは、容易ではない。枝一本折ることすら、難儀だ。

でも、これまでスタートラインにすら立てなかったことを思えば、上出来である。私、よくここまで来れたよ、うん。

そう言ってあげられるの、自分しかいないんだもの。ね。